すきって言って。 誰よりも、だいすきだよって。 それだけであたしは途方もないくらい幸せになるんだから。 君の言葉はいつだって僕のこころに響くんだ
「ねぇねぇ、慧はさ」 そこは何の変哲もないある一軒家の一室。 その部屋の主である慧は恋人の郁と何をするわけでもなく過ごしていた。 いつも通りのことだ。 いつもの光景に何か付け加えることは必要ない。 例えばそれが、一生に一度しかない一日だとしても。 そんな一室でずっと慧の本を読んでいた郁が口を開いた。 郁は変わっていて、よくわけのわからないことを言う。 それに慣れきっている慧は今更何を言われようが動じない覚悟は出来ていた。 仕方ない。それが日常で、それが日常茶飯事なことなのだから。 突如口を開いた郁に、慧は目線は本に向けたまま返事を返した。 「今度は何」 慧の言葉から今日初めてのことではないのであろう郁の話。 何度も何度も本を読む時間を中断されていることに対していい加減面倒くさくなってきたのは、慧の表情からも伺える。 いや、寧ろ声だけでもそれは分かり易いほど郁は何度も慧に話し掛けていた。 いつものこと。 もう郁には何を言っても意味が無いことを知っているから、慧はどうしようもない。 帰らせれば良い話なのだが腐っても大切な恋人。 何より郁のことを心底愛している彼にそんなことが出来る筈も無かった。 「慧は、」 「俺が、何」 「あたしにすきって言われて幸せになるのかな」 「・・・は?」 郁がわけのわからないことを言うのは初めてじゃない。 今までに何度も経験して来た。 恋人になる前だって、恋人になってからだって。 彼女の第一印象が“変な人”だったのも頷けるくらい。 だけれど、急にそんなことを真面目な顔で言うから、思わず動揺してしまった。 「―何で?」 「本に、書いてあったの」 テーブルを隔てて座っている郁の方に慧は乗り出す。 彼女が読んでいたのはいつか慧の母親が勝手に買ってきた恋愛小説だった。 一応読んだ。興味は無かったけれど。 その内容はと言うと、遠距離恋愛をしている恋人の話。 郁の言う「すきって言われたら」という話はそういうことだったのかと妙に納得した。 読んでから1ヶ月ぐらいだろうか。 それでもその場面は妙なくらい頭に残っていた。 『あなたにすきって言われるだけで、私は幸せになれるのよ。』 『だから、それだけでいい。言葉だけでいい。』 『逢えなくたってそれだけが私の生き甲斐になるから』 そんな、場面。 それを読んで「ああ」と納得してしまった覚えがある。 郁とは恋人になってから離れたことが無い。 だから別に、遠距離恋愛をしている人たちの気持ちになっていたわけではない。 ただその言葉だけが、不思議なくらい頭に残っていた。 『あなたにすきって言われるだけで、私は幸せになれるのよ。』 慧は郁に対して“すき”という言葉を繁盛に使う人間ではなかった。 “すき”は勿論、“愛してる”という言葉でも。 でも、郁はよく慧に“すき”とか“だいすき”とかいう言葉をよく言っている。 ―慧は、その恋愛小説を読んで初めて郁に“すき”と言われて満たされている自分に気がついたのだ。 「・・・そうだな、幸せだよ」 「・・・ほんとうに?」 「ほんとうに」 自分で言うことが無いからだろうか。 もしくは、自分はそういう性格ではないから、か。 “すき”と言われて“すき”と返したことはなかった。 今更言うのも、どうなんだという感じもしていたし。 「でも、慧はあたしに言ってくれないよね」 「・・・恥ずかしいんだよ・・・」 少し照れた様子で話す慧を見てクスリと郁は笑った。 「言えない?」 「恥ずかしい」 「・・・そーですか」 すきだって言って欲しい気持ちはわかるけれど、それはちょっと、というのが慧の本音で。 「言って欲しい?」 「・・・出来れば」 「・・・あー・・・」 うろたえる。自分で聞いたくせに。 “すき”という二文字だけなのに。 (・・・告白するみたいだな) どうしても無理ならいいけどね、と笑う郁の腕を引っ張って自分の方へと引き寄せた。 郁は「え?」と驚いた顔を見せてたちまち顔を赤く染める。 慧自身も、真っ赤だ。 ― すきだよ ― 耳元で郁にしか聞こえないだろう小さな声で呟いた。 ふっと腕を放して、郁の顔を見る。 きっとお互いの顔は真っ赤なんだろうと、慧は心の中で考えて。 二人で顔を合わせては笑い合った。 「うん、幸せだ」 「あー恥ずかしいっつーの」 「へへ、」 例えば君が望むなら、何度でも囁くよ。 そしたら君は微笑んで欲しい、何度も。 『あなたにすきって言われるだけで、私は幸せになれるのよ。』 |