彼の姿は見ることが出来なかった。
見てしまうと泣きそうだったから。





エトセトラ ♯7





「あーあ・・・」
あの転校生、合月星杏が来た日の一時間目が終わった時のこと。どうしてか、妙な不安が私を襲った。―“どうしてだろう”そんなことを考えていると由紀が私の席までやって来た。


「・・・あんたたち、大丈夫なの?」
第一声がそれですか。そんな突っ込みを心の中でしつつ、由紀の顔を見上げた。由紀はいつものような呆れ顔で。昨日あんなことがあったとは思えないくらい普通だった。




―そう、一日経ってしまったのだ。

本田のことがすき―そう気付いてから。どうして私はこんなにも馬鹿なんだろう。自分の中に留めておくことが出来なかった。私自身の気持ちを。
片想いでもいいからそばにいたい。それも考えたけれど、確実に私の性格上無理なのだ。それは今までの経験からよくわかっている。わかっているからこそ、あんな方法しか思いつかなかった―。

「・・・で?大丈夫なの?」
「は、」

由紀はまた私の顔を見て呆れた顔をした。そして何かを考えたようにすると、近くにあった椅子を持ってきて私と向かい合って座る。

「・・・本田、合月さんに告白されてたみたいだけど」
「・・・え?」

どうして知っているのかとかは、もう今更だからどうでもいい。それより何より、本田が告白されたことだ―よく考えてみると、本田はそれなりに顔も良いし人気がある。―要するに、告白されたっておかしくはないのだ。そう例え、今日初対面の合月さんが本田に一目惚れをしたっておかしいことなんて全然ないということ。


「・・っ」

戸惑った。どう反応を返せばいいか分からない。
「へ、へぇ・・・」
「いいの?」
とりあえずの返答をしたら、即由紀にそんな言葉を掛けられた。何となく。何となくだけれど、由紀の言いたいことはわかる。


「すきなんでしょ?」


少し、切なそうな顔をして由紀は聞いてきて。私は、どうすればいいんだろう。言うべきなのは勿論わかっている。わかっているけれど、由紀に言って何かが変わる?―私は、踏み出せる?


―そんなこと、わからない。

でも、それでも。


「・・・うん・・・」



由紀には言っておかなくちゃいけない。そんな気がした。だって、私には頼れる人が由紀しかいない。水口もいるけど、何となく、由紀とは違うから。
「そう」
それだけ言うと由紀はいつものような顔に戻った。少し、ホッとした。
「それにね、」
「?」
妙な不安が溶けていくような感覚。ああ、こういうことだったのね。


「―私、今私に、そんなこと言える立場かって言うとそうじゃないでしょう?」
「本田、ね・・・」

止めるとか、告白するとか。どちらにしても今のままじゃどうしようもないのよ。だから、どうすることもできない。

こんな状態ですきって言える?
こんな状態で、「合月さんと付き合わないで」なんて言える?


「・・・言えないよ・・・っ」
「桜・・・」



泣きそうだよ。
私、本田のことで、何度こうなったんだろう。

―すき。
本田のことが、誰よりもすき。

けど・・・。


「でも・・・、」

本田に私は、何も言えないのよ。

「・・・でも?」
「つらい―っ」

くしゃ、と由紀の手が私の髪を優しく撫でる。やっぱり私は、由紀がいなきゃ何も出来ないね。


「由紀ぃ・・・っ」
「大丈夫。大丈夫だから・・・あんたはテストのことだけ考えなさい」
「・・・うん」



大丈夫。由紀がそう言ってくれてよかった。




「・・・お取り込み中、かな」
「・・・合月・・・さん?」
背後から声がして何かと振り返ると、例の転校生がいた。

「木川さんだよね、それに、小波さん」
「・・・そうだけど、どうかしたの?合月さん」

・・・というか、何で名前知ってるんだろう。

「あたしのことは星杏で良いよ、さん付けされるの苦手なの」
「あ、それじゃ・・・」
私も名前でどうぞ、と言うとそれを追って由紀も同じようなことを言う。その直後、彼女はにっこりと可愛らしい顔で笑った。
―少しだけ、その笑顔の裏には何があるんだろうと、感じた。

「あたし、本田くんに告白したの」

「?!」
一瞬、何を言い出すのかと思った。
どうしてそんなことを言うのだろう、彼女は。

「・・・それで?それだけじゃないわよね」
呆気に取られている私の変わりに口を出したのは由紀で。
私が思っていることを全部言ってくれた。

「木川さ・・・じゃなかった、桜」
「・・・?」
「・・・本田くんのこと、すきでしょ」
「!」

もしかしてさっきの話を聞かれていたのだろうか―彼女は私の反応を見てふぅん、と笑う。疑問ばかりが頭に浮かんで、何も言えない。




どうして、わざわざそんなことを言うの?
どうして、私が本田をすきなこと知ってるの?

―これから、何を言うつもりなの?


「フラれたんだよね、あたし」
「・・・うん?」

少し表情に陰りが出来る。それでも彼女は笑っていた―楽しそうに。―本気だったんだよ?そう続けて言う言葉は、本当らしい。ライバル、なのに。全然そういう感じがしないのは彼女の雰囲気がそう感じさせるからだろうか。



「・・・勝負しない?」
「はい?」
唐突にそんなことを言われて、驚く。思わず間抜けな反応を返してしまった。勝負・・って。何のこと、と考えているとずっと黙っていた由紀が口を開く。


「本田を賭けて、ってこと?」
「そう。
 今度テストがあるでしょ?
 そのテストで5教科合計点が相手より上だったら、勝ち」


何を言い出すんだろうこの人は。

「負けたら本田くんに近づくのはナシ。どうかな?」
「え、えと・・・」

急に疑問を投げかけられて、慌ててしまった。要するに、負けたら本田を諦めるってことよね、と言ったらそうだよと楽しそうな返事が返ってきて。

―諦める?

「・・・良いよ」

ニィ、と彼女が笑った。



―その直後、チャイムが鳴る。
ザワザワしている教室は未だに騒がしい。―次の時間は自習だ。


「桜、」
「星杏?」


星杏は哀しそうに笑って私を振り返った。


「私が負けたら、」

少し俯いては、また笑って。

「ちゃんと、桜のこと応援するから」
「・・・―勿論、私もそのつもりだよ」



驚いたけれど、私も最初からそのつもりだったから。それを聞くと彼女は嬉しそうに席に戻っていった。その姿を見た由紀ははぁ、と溜息をつきながら苦笑した。
「・・・不思議な子」
ははは、と一緒に苦笑してもう既に立つ由紀を見上げて明るく言った。
「テスト、頑張らなきゃね」




―本田のことで悩んでいる暇は無くなった。
彼女に勝たないと、悩むことすら出来なくなるのだから。




・・・決戦は、一週間後からだ。